関西一円の美術・芸術系学生・若手作家のグループ展“Art Camp 2009”を今年も、8月1日(土) 〜9月24日(木)の間、開催致します。
 Art Campは、同世代の者が集まり、自分の表現に向き合い、試行錯誤しながら共に作り上げていく「美術制作を学ぶ者達による展覧会」として2002年に始まりました。第8回目となる今年は関西を中心に東京、広島など多地域より、優れた29名の芸術系学生及び卒業生が集まり、招待作家2名を加え31名が5期に分かれて展示を行ないます。
 本展では、実験的なもの、エネルギー溢れるもの、又模索から生み出されたものなど、興味深い作品が発表され、多様な視点が投げかけられることでしょう。
 本年もサントリーミュージアム[天保山]のご協力を得て、2会場での展示が実現致します。またミュージアム学芸員諸氏の選考により、優秀な作品にはサントリー賞が贈られる予定です。さらに作家のさらなる飛躍を期待し、今年よりターナー色彩株式会社のご協力を得て、画材に対する知識を深める工場見学等も盛り込まれ、まさに「キャンプ」の名に相応しいプログラムになりました。
 今後の新しい美術の動向を担う新人たちのエネルギー溢れるArt Camp 2009展を、是非ご高覧下さいます様、お願い申し上げます。

会期

第1期 2009年8月 1日(土) ー 8月13日(木)
第2期 2009年8月15日(土) ー 8月27日 (木)
第3期 2009年8月29日(土) ー 9 月10日(木)
第4期 2009年9月1日(火) ー 9 月13日(日) *
第5期 2009年9月12日(土) ー 9月24日(木)
* 第4期はサントリーミュージアム[天保山]での開催

会場 第1会場 ギャラリーヤマグチ クンストバウ(会期中無休)
第2会場 サントリーミュージアム [天保山]
(第4期のみ、9月7日月曜日は休館)
OPEN

ギャラリーヤマグチ クンストバウ 12:00 − 19:00 (最終日 17:00迄)
サントリーミュージアム[天保山] 10:30 − 19:30
レセプションパーティー:各期最初の土曜日(8/1, 8/15, 9/5*, 9/12) 17:00 - 19:00
*但し第3期と第4期は、合同で9/5にギャラリーヤマグチ クンストバウで行ないます。

主催
ギャラリーヤマグチ クンストバウ
協賛 サントリーミュージアム [天保山]
協力 サントリーミュージアム [天保山] ターナー色彩株式会社
出展者

第1期 土井智美/中山明日香/藤本絢子/梶原春乃/佐薙真由/岡本祐輝
第2期 池田貴美代 /井上康子/西尾早苗/中村吉貴/遠藤友美恵 /徳田裕心
第3期 
岡田真希人(招待作家) /森田ゆう奈/吉村熊象/鎌田あや/野瀬早苗/前田侑里
第4期 近藤邦彦/北村理枝子/雪/楠本孝美/井上真甫/松岡映里/福田真知

第5期 西山裕希子(招待作家)/稲富春奈/吉原啓太/田中秀介/濱田睦子/アンナ・リザ・ジーニ

招待作家 岡田真希人 西山裕希子
参加者大学名 大阪芸術大学 / 京都市立芸術大学 /京都造形芸術大学 / 京都嵯峨芸術大学
夙川学院短期大学 / 成安造形大学 / 倉敷芸術科学大学 / 多摩美術大学 / その他
問い合せ先: ギャラリーヤマグチ クンストバウ
〒552-0022 大阪市港区海岸通1-5-25商船三井築港ビル地階
tel:06-6577-0998 fax:06-6577-0995
e-mail k-bau@g-yamaguchi .com
第1期 2009年8月 1日(土) ー 8月13日(木)
土井智美 "half of a water"
ここにコップ半分の水があります。
あなたはどう感じますか?
中山明日香 日常の中の出来事と妄想を組み合わせて制作しています。
非現実的な空間ですが、より誇張された理想や、コンビニエント
な部屋は今の私たちの現実生活とそう遠くないように思います。
藤本絢子 『ランダムな不幸にあってしまった人達への献花』
何の罪も落ち度もなく、ある日突然無情なできごとに巻き込まれてしまった人達。

なぜその人達は犠牲にならなければならなかったのか。
その人達と、今も平穏無事に過ごす自分との差は何だったのか。
そう考えた時、私はただ、ただ花を手向けることしかできませんでした。
梶原春乃 同じものがいくつも集まって出来るかたちに興味をそそる。
例えば、知的障害者が同じものを無数に描いている作品がある。
その作品からは、手垢がついたように作者の感情や、人となり、全てが現れているように思え、生生しいグロテクスなイメージを受ける。私はそのイメージを整理し、記録することを試みた。
佐薙真由 平面の中に作り出された不自然な奥行きと、その空間を埋めつくす模様。
それらによって人の目に、そして感覚に訴えかけ、見る人を絵画空間へと
引き込みたいと思っています。
岡本祐輝 人は不思議なものに遭遇するとそれが何なのか読み解こうとする。
なんとなく読み解いたつもりで改めて遠目に眺めてみると、今までそれについて考えていたことをバカバカしく思ってしまうほど単純。
最後に0が掛けてあったような。
そんなものを作りたいと思う。
第2期 2009年8月15日(土) ー 8月27日 (木)
池田貴美代 中へ  見ることしかできないものに  入ってみたくなる
でも実は  もうすでに自分はその中にいる  社会を構成するものは何か
井上康子 染色は絵具と違い、布の繊維と繊維の間に入り込み、内から発色する。
それは「像」をモチーフとした画面に、光を含ませ奥行きを与える。
西尾早苗 和紙や岩絵具と言った日本画画材そのものの美しさ、、マテリアルである鉱物など、
またそれを扱う今も変わらぬ古代の技術に魅力を感じています。
そのシンプルで純度の高い素材を用い、見てみたいもの、そこに欲しいものを制作しています。
中村吉貴 現実を補いながら虚構が浸食している現代社会において、物事の決定不可能制は希望であり絶望であり、そのどちらでもありどちらでもない。
そして「確かなものなどなにもない」ということが歩き続ける理由になる。
遠藤友美恵 時間の流れには実はいろがついている、それは私たちのまわりでゆっくりと、
ときにものすごい早さで浮遊し、周囲の環境や感じるヒトによって変化する。
しかしその流れの色をいつも感じとれるわけではない。
例えば大人数で盛り上がっている中、ふと我に返り冷静になったときや公園のベンチに座ってぼけーっとしながらいつもとはちがうと感じるときといった、何かの拍子に何気なく感じる、この瞬間に流れの色は現れる足音。
形も姿もまだこの目で見ていないのに聞こえてくる音だけで楽しいことを考える
今日はどうしよう、こうしたい、あれ話したいドキドキわくわくしてしまう
そうしてまた時間の色が流れ出す
徳田裕心 偶然か必然か出会ったモチーフ。
それを再現すること
またそのモチーフに違うイメージを組み込むこと
そうすることによってできた新しい現実。
モチーフのまた新たな一面を引き出す事ができればと思う。
第3期 2009年8月29日(土) ー 9 月10日(木)
岡田真希人(招待作家)  昆虫はとてつもなく変異性に富んでいるが、その個体に注目するのではなく、何世紀にもわたって類型的な考え方が科学を支配した。個体は理想的なタイプの影にすぎないという実在論的な考え方で、当時の科学者にとっては平均が実体で、変異は抽象であった。対照的に、ダーウィンはタイプや本質よりむしろ変異を強調した。ダーウィンにとっては変異こそ実体で、理想的なタイプは抽象であった。
 『種の起原』から150年。ただ、進化論的な発想では新たな神話やそれに基づくような造形を生み出すのは無理ではないか。タマオシコガネの転がす糞のかたまりが太陽だなんていう類型的な発想法がひそかに生き残るとしたらそれは美術のなかかもしれない。そういえばファーブルは進化論を批判していたっけ。
鎌田あや 私はわたしとしてワタシを生きるしかない。
世界を覗くことは、わたしを覗くこと。
わたしとあなたの中には、世界が広がっている。
まだ、「決定的」なわたしやあなたが、わたしは分からない。
わたしは相変わらず、曖昧で、宙ぶらりんだ。
そして、世界も相変わらず、曖昧で、交わることができない。
それゆえに、この世界はとても謎に満ち満ちていて、魅力的で、あきることがない。
もちろん、分からないがゆえに、絶望的になったり、クヨクヨしたり、涙を流したりもする。
それでも、わたしはこの世界を信じている。
わたしを信じている。
あなたを信じている。
吉村熊象 自分もその中のひとつで自身と社会の関係や社会の存在を自明のものとしないこと。わたしは社会と距離を取り続けていく。
そのためには自由でいなければならない。自由であるためには信じてはいけないことがある。
ゆえに自分も信じることはできない。自分の存在を認めることは社会の存在を認めること。
個人の存在は社会の存在に依存している。自分の存在を認めないこと。
これが社会との距離を保ち続ける唯一の方法。だから私は社会を知る必要がある。
まだ私は社会を知らないわけだ。しかし決して信じてはならない。
前田侑里 注文が多い場合は 省略します。
必要に応じて料理します。
凹凸の裏返しはお忘れなく。
野瀬早苗 全然知らない土地に行った時、なぜか来たことがあるような
昔から知っていたような気がするという事がたまにある。 
懐かしい気持ちになったり、なにかフワッとしたものが伝わればいいなと思う。
森田ゆう奈 見るということは一体どういうことなのだろう。目と目が合っているその時に、何が生まれているのだろうか。
 
アテナに見たものを石化させる魔物にされたメデューサは、ペルセウスの盾に映った自分の姿を見て死んでしまう。その後、彼女の首の力でペルセウスは怪物を退治する。
死んだ妻を冥界から連れ戻したオルフェウスは、地上に出るまで禁じられていたにも関わらず、あと少しのところで振り返ってしまい妻を永遠に失う。
 
それは幸せなことか不幸なことなのかわからない。しかし、そんなどうしようもなく引き込まれてしまう体験によって私達の世界は日々更新される。そこでは何かが生まれ、同時に何かが終わっていく。そんな境界を作り出したかった。
第4期 2009年9月1日(火) ー 9 月13日(日)  サントリーミュージアム[天保山]
井上真甫 夢とは一体何なのでしょう。
 細胞は毎秒約五十万個死滅し、同時に同じ数が産まれます。DNAの九十五%はどういう役割なのか分かっていません。夢とは一瞬にして産まれては死んで逝く、彼らの記憶をフィルムとして見ているのか、はたまたDNAという形の手紙を通じて先祖達と交流していたのでしょうか。もしかすると物語の中に夢という空間を使って遊んでいたのかもしれません。
 夢はインターネットの様であり、道の様であり場所の様である。夢は形をもつか、夢は性格をもつか、夢は感情をもつか、夢は私であるか、夢は貴方であるか。
 夢とは一体何なのでしょう。
近藤邦彦 人は生まれてから死ぬまでの一本道を歩んでいます、
人生を歩むにはそれぞれバランス感覚が必要です、
バランスの先にある可能性を表現しました。
人の中にある闇 誰の中にも有るもの 深い所で身を潜めている
暗い闇のような存在
時に暗がりに身を置く事を心地良いと感じる
暗がりが身体へと侵入しその中にある闇と同化する
闇は表皮を外界にさらす事で微かな浄化を見せる
時にそれは増殖し 支配者となり 暴走する
それでも人は闇を隠して生きる
それから解放される事を願いながら
決して解放されない事を知りながら
身体の深い所に隠したまま
祈る
どうか狂気へと変わらぬように
その闇を風に流すように
その深部には至らなくとも
その闇が雨に滲むように
その玉砕には至らなくとも
その闇を愛おしく思へるように
北村理枝子 はじめての手紙は、とてもみじかい内容でした。
今回の手紙もきっと、そのようなものです。
届いた手紙は、どうぞお持ち帰り下さい。
楠本孝美 何も知識や概念を通さずに世界を見たい。
座るものと知らずに見た椅子
自分と同じ生き物とも知らずに見た人
カサブタの様に剥いでいく
知識、概念
すべてのものから剥ぎ取っていく
福田真知 コンクリートは、岩みたいだし、海も見える。
去年、あの川で撮った水はどこへ行っただろうか。
水分を保った僕は、大阪まで来てしまった。
脈々と流れゆらゆら巡っている。
今度は、思い切って水の中に入ってしまえ。
第5期 2009年9月12日(土) ー 9月24日(木)
西山裕希子(招待作家)

私は人の関係間にある心理的距離の曖昧さ、またその様々な関係性の中における「私」とは何なのかという問いを抱いていました。この問いをもとに、日常の中で人の関係間に起こる心理的な同一化やイメージの投影、そこから起こる混乱など交錯した状況を、「物語」を一つの要素として普段と異なる角度から世界を捉え直し、人物像を含めた一つの場面に置き換え、写真や染料と蝋によって描かれる作品や、鏡など扱った作品をつくっています。
そこでは人の心に在る元型的・象徴的イメージを探り、性差や家族関係など様々な交差する関係性をもった現代の世界の中で、曖昧な人の心理的距離に輪郭を与え、そして作品と世界との間に新たな物語を紡ぎ出すことができないかと考えています。

稲富春奈

誰でも1度は出逢うおはなしがあると思います。
幼い頃憧れた世界は、夢のようでありながらどこかとても現実的です。

おひめさまは針を刺し、
おばあさんは扉を開け、
おじいさんは優しくあたえ、
...では、ふき飛ばされているのは?

吉原啓太 "私"が見る風景と、"我々"が見る風景。
田中秀介

私達は何を行うにも考えてしまう。日常的な事で言えば何を食べるか。何を飲むか。
生を考えれば何故生きるのか。考える事は出来ても、核心的な答えが出来る事は、そう無いだろう。
私は笑う事が好きだ。しかし、笑っているその瞬間、何か大事な事を忘れているような気になる。恐らく考える事を忘れているのだろう。
考えることは苦労を伴う。だから人は笑うのかもしれない。
世の中は常に笑っている様に思える。
その姿は、勢いがあり明るく、破滅的で憂いがある。
私は笑いを治める事は出来ない。

濱田睦子

『錘』 
図書館で本のページに挟まった忘れ物を発見する。
私はそれを持ち帰り保管する。
古本を買う。本を読む作業に没入し、そのなかで、気になる一文に付箋を貼る。
人が触れ時間が経過したもの。
少しずつ続いて行く対話。
糸をつむぐ道具という意の『錘』というタイトルにした。

アンナ・リザ・ジーニ I am an international politic researcher with an obsession for contemporary arts and photography. Although Italian, I have spent most of the past ten years in Asian where I try to survive this neurotic epoch with irony and a good dose of cappuccino.
recycle/reuse
For this edition I would like to introduce the theme of recycle/reuse in therms of identity.

私は、国際政治の研究者ですが、現代美術・写真に夢中になっています。 またイタリア人ですがこの10年の大部分をアジア諸国で過ごしながら、この神経症の時代に皮肉と良い投与量のカプチーノで生き残ろうとしています。
再生/再利用
今回紹介したいのはアイデンティティという観点からの、再生/再利用をテーマです。
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