[Release]
桑山忠明は1958年渡米以来一貫してモノクローム、ミニマル絵画の作品を発表し続けている。60年にはジャッド、モリス、フレビン、ステラ等の当時無名ではあるが、その後重要な20世紀のアーティストになる作家達を数多く排出した伝説のグリーン・ギャラリーでの個展発表を機にアメリカ国内、ヨーロッパへと発表の場所を拡張し、国際的な高い評価を得ている数少ない日本人作家の一人である。
60年代半ば彼の作品(絵画)には人間の持つ<情緒的な>気配を消し去るような作品になり、さらに作品(絵画)の中や枠組みに金属線を取り込むようになる。もはや(絵画)の世界に収まらない作品へと変貌していく。70年代にはさらに色そのものが消し去られる。おそらく人間の視覚にとって最も重要な「光」を意識しての事だろう。ほとんどがメタリック(銀色)の作品である。桑山自身は僅かに違う色(銀、黄、茶、金、等)のタイトルを作品につけてはいるが一見して何色のメタリックであるか解らないシルバーメタリック(銀色)である。東洋哲学には「物」の分別、識別に関して意味がなく、また対象となる物の存在さえ認めない考え方がある。それは「空」「虚」「無」という言葉に表現される。シルバーメタリック(銀色)はまさにそれを代表する色である事も論じられている。その事を桑山は意識しているとは思わないが、「観念も、思想も、哲学も、理性も、意味も、さらには、芸術家の個性さえも、私の作品には入り込んでいない。芸術そのものがあるだけであり、それにつきるのだ」という60年代の、また、「展示スペースに入った時に人が何かを感じる未知なる芸術を創りたい」という90年代の言及に繋がっているのでないだろうか。この言葉は桑山が彼自身に潜在する芸術的な意識を如何に<現出させる>かの挑戦でもあります。
潜在意識は潜在するが故に意識上は認識され得ない全く未知な意識です。潜在意識は東洋哲学では<アーラヤ識>と呼ばれ、固定化された意識ではなく、絶えず変貌し続けるものとされる。作品を観る者も同時にその潜在した意識を起こすときに、はじめて桑山の<現出させる>行為は成就する。と言う事を考えれば、作者と観る者との間によほどの信頼性がなければ成立しない事なのかもしれない。
それは至難の業であるかもしれませんが、それこそが芸術を在らしめる行為なのかもしれません。
今回の近作の展覧会ではゴールドメタリック、シルバーメタリックの2色の床置きの作品6点、対面する2つの壁面にゴールドメタリックとシルバーメタリックの作品がそれぞれ5点展示されます。桑山忠明と観る者がもつ潜在意識の接点の場となれば幸いです。